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―肥後もっこすをふところに― 三菱重工相模原ダイナボアーズ 岩下丈一郎選手インタビュー(前編)

― 肥後もっこすをふところに ―

三菱重工相模原ダイナボアーズ 岩下丈一郎選手インタビュー(前編)

 

プロ人生2度の廃部経験も悲願のダイナボアーズ加入。その直後に待ち受けていたのは、再起も危ぶまれたじん帯損傷のアクシデント。ジョーこと岩下丈一郎選手のラグビー人生は、ジェットコースターかはたまたフリーフォールか。それでも自ら辞める意思はどこにもなかった。
肥後もっこすをふところに愚直に前進する男。岩下丈一郎選手インタビュー

 

肥後もっこす・・・熊本県人の気質を表現した言葉。純粋で正義感が強く、一度決めたら貫き通す、頑固で妥協しない性格を指す。津軽じょっぱり、土佐いごっそうと共に、日本三大頑固のひとつに数えられる。 

記事:盛島さつき

『ジョー』のニックネームで親しまれている、三菱重工相模原ダイナボアーズの岩下丈一郎選手。ポジションはセンター。202210月に三菱重工相模原ダイナボアーズに加入した28歳(記事公開の日に28歳を迎えた)の若手選手だが、入団3年目ともなると、『ダイナメイト』(ダイナボアーズを応援するファン)との交流イベントでもネーム入りタオルを手にサインを求めるファンが集まるなど、どうやら『ジョー』人気も定着しているようだ。

しかし岩下選手が試合に出るようになったのは、昨年の2023年のシーズンから。実質出場キャリアとしては今シーズンが2年目と言っていい。
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年目はほぼすべての期間をケガの治療に費やしたからだ。加入直後、練習中にじん帯損傷の大けがを負い手術をした。当時は再起も危ぶまれる深刻なものだった。
こうして希望に満ちたダイナボアーズ入団は、波乱のスタートとなった。しかし岩下選手にとっては、社会人のラグビー人生そのものが波乱尽くしだった。

コカ・コーラレッドスパークスからのファンならば、岩下選手の決して順風満帆とは言えないラグビー人生を周知していることだろう。
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度のチーム廃部を経験し、202210月にトライアウトを経て、晴れて正式にダイナボアーズメンバーとなったのもつかの間、普段通りの練習メニューをこなす中で痛めた右足が大事に至ったのだ。
三菱重工相模原ダイナボアーズといえば、リーグワンの中でも今や全国屈指のトップレベルのチームだ。流転の末に勝ち取ったダイナボアーズ加入の切符は、これまでのキャリアの中でも最高のステージでプレイできることを意味した。本人にとっては並々ならぬ思いだったろう。それが期待に胸膨らませるも、見る間に状況は暗転。しかも3度目のラグビー継続の危機は怪我によるもの。選手生命自体の危機をも意味した。

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岩下丈一郎選手のラガー人生

 

19961117日生まれ。出身は熊本県熊本市
地元熊本の九州学院高校を経て、2015年に関東学院大学入学。2019年福岡県が本拠地だった、コカ・コーラレッドスパークスに加入した。同年1114日のジャパンラグビートップチャレンジリーグ第1節の釜石シーウェイブス戦にて先発出場で公式戦初出場を果たすなど、加入1年目から早くも活躍が期待される選手となった。
しかし202112月に状況は一変する。

その日は、いつものように練習場に向かったが、更衣室に着くなり、チームスタッフから集合がかかった。
選手たち皆が会議室へ行くと、部屋にはすでにスーツ姿の見慣れぬ人が揃っていた。意味も分からず席に着いた。
そして一通りの説明があり、突然チームの廃部が告げられたのだった。

選手たちのざわめき、落胆の声が部屋をかすめた。まさにこれから試合が始まるというとき。なんともあっけないものだった。

 

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(以降は、できる限り岩下選手の生の言葉を再現して、QA形式で記事を進める)

 

残暑の日差しがじりじりと皮膚を刺す20249月中旬、夕日が差し込むにはまだ早いが、見晴らしのいいグランドの先に広がる丹沢山地は、徐々に赤みを帯び稜線の輪郭を浮かばせた。

ダイナボアーズのホームである相模原市内にある、相模原スポーツレクリエーションパークで岩下丈一郎選手のインタビューに時間を作ってもらっていた。

トレーニングマッチを控えて、トレーニングメニューも日に日にハードになっていく。そんなころだったという。(お疲れのところ、インタビューご協力本当にありがとうございました。)

Tシャツとショートパンツにビーチサンダルといういで立ちの岩下丈一郎選手が、定刻通り、さっそうと現れた。

服装はラフだが、鍛え上げられた屈強な体つきに、離れた位置で立ち止まり、礼儀正しく頭を下げる姿は、アスリート特有のオーラを放っていた。

『お待たせしました。ダイナボアーズの岩下丈一郎です。今日はよろしくお願いいたします。』
深々と頭を下げ、岩下選手はそう言った。張りのある声が印象的で、公式プロフィールにある174㎝という身長も、もっと大きいのではないかと感じずにはいられない存在感だった。

 

盛島:今日はよろしくお願いいたします。
三菱重工相模原ダイナボアーズは、在籍でいうと3チーム目ということですよね。社会人1年目に入団したコカ・コーラレッドスパークス。そして、宗像サニックスブルースを経験。どちらも、岩下さんの活躍が期待される中、突然の廃部が決まったそうで。

 

岩下選手:本当にそれまで何も聞かされていなかったので、最初の廃部を経験した、コカ・コーラレッドスパークスはあまりに突然で頭が真っ白になりました。
ですが、コカ・コーラレッドスパークスのスタッフが、それぞれの選手の行き先など考えてくれて、僕の場合は、同県にある宗像サニックスブルース を紹介していただき、チーム廃部から間もなく次に移ることができました。

同じ福岡県内のチームだったということもあって、それほど大きく環境が変わったわけではないですが、新たにラグビーができることに安堵しました。心機一転頑張って行こうと。そういう気持ちでいました。それも1年でレッドスパークスと同じ状況になってしまいましたが。

廃部発表の日は、レッドスパークスと同じ感じで、その朝、更衣室から出てきた僕らの前をぞろぞろと見慣れないスーツ姿の人たちが横切って行って。一瞬デジャブかと思いました。(笑)同じレッドスパークス出身のチームメイトと、『なんか見たことある光景だね。』なんて冗談めいて話したのを覚えています。

盛島:関東学院大学の4年間は、熊本から上京し神奈川県に住んでいましたが、コカ・コーラレッドスパークスの加入を機に福岡に移った。つまり九州に戻ったわけですね。レッドスパークスの3年と宗像サニックスブルース の1年、合わせて約4年間、福岡にいらしっしゃいました。そして、三菱重工相模原ダイナボアーズ加入で、再び神奈川の地を踏むことになる。相模原だと、関東学院大学があるエリアとはまただいぶ雰囲気違うと思いますけど、相模原周辺はすぐに馴染めましたか?

岩下選手:神奈川自体は、大学時代に住んでいた場所ということもあって、やはり親しみがありました。あと相模原一帯は、実は宗像サニックスブルースの拠点だった宗像市にも雰囲気が似ているんですね。広々として、のんびり暮らしやすくて。それもあって、越してきた当初から馴染んでたと思います。

盛島:今ファミリー層にも人気のエリアなのも頷けますよね。スポーツやレジャー、買い物するにも、子育てしやすいエリアですよね。
ところでダイナボアーズ加入の経緯を教えていただけますか? 

岩下選手:トライアウトという形で、加入テストに参加させていただきました。コカ・コーラレッドスパークス時代に選手だった方で、今ダイナボアーズにいらっしゃる採用担当の方です。その方に声をかけていただきました。

盛島:社会人ラグビー4年で、2度の廃部経験。そこから三菱重工相模原ダイナボアーズ加入のチャンスをつかんだわけですよね。もしかしたら、ご自身のラグビー人生でもリーグワンの実力あるチームへの加入は、さらなる飛躍を意味したんじゃないですか?

岩下選手:そうですね。あくまで加入が決まっただけで、登録メンバーになって試合に出て、さらにそこで、活躍できるかが大事なことだと思いますが、受かった時はうれしかったですね。でも、なんでしょう。ラグビー以外の選択肢についてもいろいろと考えた時期を経験したので、“ラグビーを続けられる”そのことにまずほっとした、というのが本音でした。

小、中学時代は負けず嫌いの野球少年だった

盛島:小さいころからラグビーをされていたのですか?

岩下選手:いえ、意外に思われることも多いですが、ラグビーは高校生からです。小中は野球少年でした。 

盛島:ポジションは何ですか?

岩下選手:ずっとキャッチャーをやっていました。

盛島:そのころから強肩だったのですね。キャッチャーといえば司令塔ですね。ちなみに小さいころはどんなお子さんだったのでしょう。

口元が面影ありますね♪ファンの方必見、岩下さんの幼稚園時代の写真

 

岩下選手:そうですね。性格で言えばどちらかというと負けず嫌いだったような気がします。小学生のころは野球で三振した時にはよく泣いていました。ピッチャーをやっていた時期もあって、ストライクが入らない時にもよく泣いて、その度に父に怒られました。

特に長距離のランニングなどで負けるのが嫌だったので小学校の時はよく自宅のマンションの階段で昇り降りのトレーニングをしたり、中学校の野球の練習が終われば父に荷物を持って帰ってもらい、僕は走って家に帰った記憶があります。素振りもしてたんですが、それは嫌々やらされていました。(笑)

丸刈り野球部時代の貴重な写真

盛島:高校でラグビーを選んだのは、どうしてですか?

岩下選手:学生時代ラグビーをやっていた父の影響です。中学の部活の引退時期に、ラグビーをすることを真剣に考え始めました。

盛島:そうでしたか。高校でラグビー部に入って、野球の経験が役立ったことはありましたか?

岩下選手:ボールのキャッチなどは割とスムーズにできた印象はあります。

盛島:高校生の頃には、プロのラグビー選手になることを夢見てましたか?

岩下選手:消防士の父の影響で、同じように消防士になるのが夢でした。プロのラグビー選手を目指したのは大学生になってからです。

盛島:お父様が憧れだったんですね。岩下選手はご兄弟はいらっしゃいますか?

岩下選手:僕は一人っ子です。

盛島:そうですか。ではお母様のこともちょっと聞かせてもらっていいですか?

岩下選手:天然すぎて困ってしまいますが、子供の意思をいつも尊重してくれる人です。

盛島:素敵なご両親の元、お育ちになられたようですね。大学を卒業して、せっかく近くに戻ってきたと思ったら、また遠く離れてしまってご両親は寂しいですね。でもどんな状況になってもくじけない岩下さんは自慢の息子さんですね。今こうして頑張っていることは何より嬉しいでしょうね。

 

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盛島:さて。入団とほぼ同時に負ったケガについて、この時の思いをお聞かせいただけますか?

岩下選手:そうですね。スポーツをする以上ケガはつきものですが、思いのほか大きかったですね。

盛島:『じん帯損傷』とのことですが、どんなケガなんでしょうか? 

岩下選手:じん帯は、膝より上の(太もも側)大腿骨と、膝より下の脛骨(と腓骨)を繋いでいて、膝の周りに役割の違うじん帯がいくつもあるんですが、僕の場合は、右足の前十字じん帯と内側じん帯を断裂しました。

前十字じん帯は、俊敏な動作を求められるスポーツ、特にラグビー選手や格闘家、また陸上の選手にとっては膝のゆるみやひねりに対して動きを安定化させるという意味で、重要な役割を果たしています。

もう一つの内側じん帯の方は、膝が外側へ反り返るのを防いだり、膝関節の内側からの外向きのストレスを抑制する役割があります。内側じん帯の損傷は、本来ケアや安静、リハビリで治癒する場合が多いそうですが、僕の場合は手術が必要でした。

盛島:それでは手術は2回行われたということですか?

岩下選手:はい。右足の前十字じん帯再建術と内側じん帯縫合術を行いました。

盛島:手術をしたといえども、再起も危ぶまれるほどだったそうですね。

岩下選手:でも悔やんでも仕方ないので。なるようになるとしか考えませんでした。故障した右足以外のトレーニングを積んだり、やることをただひたすらやる。手術を経て、リハビリも兼ねた練習から、次は故障しにくい体を作ろうと、気持ちのシフトをしました。そういう日々を通じて、グラウンドで練習再開するまでにも新たな体づくりへの意識の変化など、自分の中で様々な手ごたえもありました。

盛島:これは行けるな。みたいな、復帰への自信なども芽生えましたか?

岩下選手:いや、それは全くわかりませんでした。とにかくあまり一喜一憂せずに日々できることにフォーカスしました。復帰までのマインドはそんな感じでした。復帰できなかったらできなかったで、その時考えればいい。

盛島:まさに『肥後もっこす』ですね。すごい男気を感じます。

岩下選手:いえいえ。そんなことないです。男気じゃんけんは強いんですけど(笑)
性格的にはどうでしょう?あんまり気にしないタイプなんじゃないですかね。

 

3年目のシーズン。目標は前シーズンより、より多くの試合に出て自分の役割をしっかり果たすこと。そして一人でも多くの人に、自分の名前を覚えてもらいたい。

ダイナボアーズフェスタに出演した岩下選手

盛島:いよいよシーズン入りますね。昨年は1年遅れのダイナボアーズデビューながら、しっかり活躍も見せられた年だったと思います。今シーズンの抱負を聞かせてください。

岩下選手:いえ、まだまだだと思っています。昨年より多くの試合に出られるよう頑張ります。何よりチームの勝利に貢献できるよう自分の役割をしっかり果たしていきたいです。

盛島:丈一郎ファンはどうですか?結構いらっしゃいますよね。

岩下選手:それもまだまだですね。僕が出場した試合に、同じポジションの出てない選手のネーム入りのタオルを振ってる人見たときは、膝から崩れそうになりました。

しっかり名前覚えてもらえるよう、頑張りたいと思います!

いよいよリーグワン始まります。応援よろしくお願いいたします。

 

岩下丈一郎選手インタビュー後編は、2024-25シーズン明けを予定しています。
動画撮影のNG集交えてお届けする予定です。お楽しみにどうぞ♪

 

 

トレーニングマッチ スケジュール

■ 2024-11-23 12:30 K.O. 豊田自動織機シャトルズ愛知 三菱重工相模原グラウンド
■ 2024-11-30 13:00 K.O. 埼玉パナソニックワイルドナイツ 熊谷ラグビー場 –
■ 2024-12-07 13:00 K.O. リコーブラックラムズ東京 駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技
■ 2024-12-14 13:00 K.O. 狭山セコムラガッツ 三菱重工相模原グラウンド

2024-2025のNTTジャパンラグビー リーグワンチケット

1 2024-12-22 14:30 K.O. 浦安D-Rocks 相模原ギオンスタジアム
2 2024-12-29 13:00 K.O. 東芝ブレイブルーパス東京 味の素スタジアム
3 2025-01-04 12:00 K.O. 静岡ブルーレヴズ 秩父宮ラグビー場
4 2025-01-12 14:30 K.O. コベルコ神戸スティーラーズ 相模原ギオンスタジアム
5 2025-01-18 14:10 K.O. 横浜キヤノンイーグルス ニッパツ三ツ沢球技場
6 2025-02-01 14:30 K.O. クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 相模原ギオンスタジアム
7 2025-02-09 時間未定  トヨタヴェルブリッツ 相模原ギオンスタジアム
8 2025-02-16 時間未定  三重ホンダヒート 三重交通Gスポーツの杜鈴鹿
9 2025-02-22 時間未定  埼玉パナソニックワイルドナイツ 熊谷ラグビー場
10 2025-03-01 時間未定 リコーブラックラムズ東京 秩父宮ラグビー場
11 2025-03-16 時間未定 東京サントリーサンゴリアス たけびしスタジアム京都
12 2025-03-22 時間未定 トヨタヴェルブリッツ 未定
13 2025-03-29 時間未定 クボタスピアーズ船橋・東京ベイ スピアーズえどりくフィールド
14 2025-04-05 時間未定 静岡ブルーレヴズ 未定
15 2025-04-12 時間未定 横浜キヤノンイーグルス ベネックス総合運動公園陸上競技場
16 2025-04-26 時間未定 コベルコ神戸スティーラーズ 未定
17 2025-05-03 時間未定 東芝ブレイブルーパス東京 未定
18 2025-05-09 時間未定 浦安D-Rocks 秩父宮ラグビー場

※ダイナボアーズ 試合・イベント情報を随時更新してご案内してまいります。

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